八百屋於七物語

八百屋於七・妙栄禅定尼霊位

天和3年(1683年)旧3月29日寂

お七物語

江戸時代もようやく爛熟期を迎え、泰平の世となったとき、於七の事件は当時の民衆にとって一大事でした。放火は重罪とはいえ、戦乱時以外で女性の火刑が行われたのは於七ただ一人だったのです。

恋のためとはいえ、ひたむきで純情可憐な於七の心痛を察し、当時の人々は同情.哀憐な思いを寄せました。瓦版が北は蝦夷・松前、西は京・大阪、南は薩摩・琉球と、全国津々浦々にいち早く伝わったことからも、当時の人々の於七に対する気持ちがうかがえます。

井原西鶴は「好色五人女」の中で《世の中のあはれ春吹く風に名を残す遅れ桜の今日散りし身は》の一首を辞世としています。

八百屋於七地蔵尊の縁結びは、人と人とのつながりばかりではなく過去・現在・未来、宇宙のすべてが縁を結んでいるという広い意味があり、多くの人々が、以下のお願いで参詣しております。

八百屋於七 お七物語
良縁成就 家内安全 開運招福 厄除
災難消除 交通安全 学業成就 火伏

心を込めて
一心にお参り致しましょう。
皆様方の心願を成就し、より幸せな人生をお送りください。

八百屋於七墓所
江戸三十三観音十一番札所
天台宗   圓乗寺